狂犬病になったら、どうなるか知ってる?〈3〉

  前回はマラリアの病魔に冒されたことについて書いたけれど、僕は放浪旅行中、もうひとつ、トンでもない病気の恐怖に翻弄された経験がある。今回はその身の毛もよだつような恐ろしい経験についてトツトツと語ってみたい。
  それはペルー北部の山中、標高は3000メートルにも達するというワラスという町とその周辺でおこった。ワラスは、高い山々に囲まれた美しいトレッキングの基地として海外からのバックパッカーが集まる観光地で、澄んだ空気と町を闊歩するアンデスおばさんの大きなツバのフエルト帽子が印象的なのんびりした町だった。
  高山地帯独特の真っ青な空から舞い降りてきそうな低い雲を見つめながら、僕はこの町にしばらく滞在し、トレッキング三昧の毎日を送りながら、歩行の乾きと疲労を地元のビールで癒し、アンデスの民族料理に舌鼓を打ち、さらに浅黒い端整な顔立ちのセニョリータと世界平和について語り合いながら友情を深めようという計画をもくろんで、すっかりナチュラルハイ状態になり、やたらヘラヘラしていた。
  いざ行かん。まず目指すのは隣の村から登りつめるナントカカントカ山(名前忘れた)だ。オンボロバスで知り合った英語を喋れないイタリア人の兄ちゃんとぜんぜん意味の通じないお互いの言葉でやたらと盛り上がりながら行き着いたのは、鏡のような水面をたたえる山頂の幻想的な湖だった。この世のものとは思えない神秘的な深い青さと静寂に感動してしばし言葉を失う。でも、男2人でロマンチックもクソもないやんけというような表情で、イタリア兄ちゃんはラテン系らしく「歩くの疲れた。ジープで山を下る」と言うようなジェスチャーをして、地元の人の車に乗り込み下山してしまった。僕はその後一人で歩いて山を下ったのだけれど、雄大な景色を眺めながら、時折写真なんぞとって、それはそれでけっこう楽しいひと時だった。標高が高いので息はすぐに上がって、ちょっとしんどい。だけど今宵、僕を待っていてくれるのは地元の美味しいビールに違いないのだ。頑張って歩くぞ。ああ幸せ。
  そんな脳天気な僕を恐ろしい災いが待ち受けていようとは。


  ふもとの町に近づいた、とある民家の前を通りかかった時だった。真っ黒な大きな犬がひいふうみいの全員同じ顔をした合計4匹。門から道まで出てきて、轟音のような雄叫びを上げ、激しく僕に吠えついてきた。一瞬オヨヨとひるんだものの、気を取り直し冷静沈着に考えた。でかい声で吠える犬ほど根性なしなのだ。人間でもそうだ。ぎゃあぎゃあ大騒ぎする奴ほど器が小さい。大物は余裕の雰囲気で相手を圧倒するのだあ。そう考えた僕は、騒ぎ立てる犬どもを制圧しようと、眼光を研ぎ澄ませた。おまえら俺は負けへんでと。僕のニラミはたちどころに犬どもを圧倒したようで、ギャウギャウギャウとのたまう罵声が、なにやらクウウウンクウウン的になってきた。
  はっはっはっはっはっは。かわいい奴らよ。俺にたて突くなんざあ十年早い。チンカス洗って出直してきなさい。君らごときペルーの根性なしの犬コロ何ぞ僕は相手にしてる暇ないのよねえ。さあ、早よホテル帰ってビール飲も。じゃまた。と背中を向けて歩き出した瞬間のことだった。
  突然、右のふくらはぎに閃光のような激しい痛みが走った。振り返ると、一匹の犬が僕の足に食らいついているじゃああーりませんか。


  かっ噛まれとるやないかいさ~。ひええええええええ。ご勘弁をををををを。


  それまでの威厳に満ちた崇高な精神もどこへやら。情けない半泣き野郎と化した僕は、小学校時代の「ケンカで泣いてからが強い奴」状態になり、辺りの石ころを半狂乱状態で犬たちに投げつけたりした。(でも、ひとつも当たらなかった)
  三々五々散って逃げていく犬たちの後を追う元気もなく(どいつが噛んだかも定かではなかったが)、噛まれたところを確認すると、ズボンが破け、犬の歯形からは真っ赤な血がタラリと流れていた。傷の深さは大したことはなさそうだった。しかし、南米と言う土地がら、多発する狂犬病のことが頭をよぎる。それはそれはあまりにも深刻なことだ。
  ご存知の方も多いと思うが、この狂犬病と言う病気、発病すれば99%以上が死亡するという超絶級の感染症だ。いわんやマラリアなんぞとはレベルが違う。発病はすなわち死の宣告でもあるこの病原菌が、今その瞬間に僕の体内に注入されたかもしれないのだ。自分とは無関係であるはずの「死」と言うものが大きくクローズアップされ、張り裂けそうな現実として傷心の僕に重くのしかかる。
  ショックのあまり呆然としていると、騒ぎを嗅ぎつけたその家の住人であるらしき少女が不安げな面持ちで現れた。僕はすかさずその娘に詰め寄り、傷口を見せながら「どないしてくれんねん。オマエとこの犬に噛まれたやんけ」持っていたスペイン語の辞書で瞬時に「狂犬病」という言葉を調べ(ちなみにこの時からしばらくの間、僕は天才的なほど辞書を引くのが早くなった)「狂犬病になったらどないすんねん。あほんだらボケ。ホンマ畜生うだうだうだ」と取り乱し、スペイン語英語日本語の三ヶ国語を交えながら、やり切れない恐怖を訴えた。しかし、そんな僕をよそに、少女は「消毒用アルコールをあげます。それから町の病院に行きなさい」と申し訳なさそうに、しかし冷静にのたまう。確かにここでこの娘に噛みついたところで、僕の体内に侵入したかもしれない狂犬病の病魔が消滅すると言うわけではないのだ。訴訟などと言う言葉も浮かんだが、見れば山奥のあばら家のようなたたずまいに住む彼らに、何を要求するべきか見当もつかない。それより一刻も早く病院に出向いて、ワクチンを打ってもらうことが先決ではないか。そう考えた僕は少女が差し出す消毒用アルコールで傷口を洗うと、麓のバス停を目指しビッコを引きながら歩き出した。痛みはあったが、歩けないほどではなかった。


  僕はワラスのホテルに戻るとまずシャワーを浴びた。噛まれた傷口は赤く腫れ上がっていて、お湯が触れるだけで激しい痛みが身をよじらせた。でも、痛いって言うことはまだ生きていると言うことでもある。狂犬病になってしまえばまもなく、痛みもクソもない死の世界がやってくるのだ。そんなことを考えると、痛みのあるこの今というものがとてつもなく貴重な瞬間に思われてきた。そう考えた僕は、まず病院に行く前に、ただこの貴重な生の瞬間を寿ぐことが先決ではないかと言う結論に達した。
  つまりシャワーをあがった僕は、10分後にはホテルの近くのピザパーラーでビールを飲んでいたということだ。ノンキなようにも思えるかもしれないけれど、それは生涯あと何杯かしか飲めないとてつもなく貴重なビールの一杯になる可能性だってあるのだからと。
  ビールを飲みながらいろんなことを考えた。ヨダレを垂らしながら、狂犬病の苦痛に狂う自分の姿。泣いている親の姿。放浪から帰ったら同棲しようと約束した恋人の姿・・・。
  やっぱり、まだ死ねない。死ぬまでは死ねない。あたりまえだけど。
  僕は身を震わせて意を決したように立ち上がるとワラスの市民病院の場所を店員から聞き出し、やっぱりびっこを引きながらフラフラ歩いた。ビールを飲んで少しは痛みがまぎれたような気がした。


  ワラスの町外れにある市民病院は筋向いがカンオケ屋という冗談みたいなロケーションで、診察時間も終わり果てた夕暮れのロビーは物悲しくひっそりとしていた。ただ、玄関に飾られてあるインカ帝国時代の脳手術を描いた絵図(写真)だけがパワフルに輝いて、死と隣り合わせの臨場感を漂わせながら僕を勇気づけてくれているような気がした。
  当直の医師と看護婦さんたちは誰も、ほとんど英語を話さず、僕はスペイン語の辞書を片手に傷口を見せながら「ペロ・モルダール(犬・噛む)」「ラビア・オリブレ(狂犬病・恐い)」「ヴァグーナ・ポルファボール(ワクチン・お願いします)」といったことを必死のパッチになりながら、しかし的確に主張した。ちなみにこの時も僕の辞書を引く早さは神業に近かったのは言うまでもない。まあ、いずれにしても、こちらの意向はなんとか通じたらしく、医師たちは「そりゃ大変だったね。だけど今夜は×××が△△△だから(意味不明)、ワクチンは打てない。今日は消毒だけしたげるからまた明日おいで。ワクチンは3日以内に打てばたぶん大丈夫だから」てなことを言って、簡単な処置だけ施すとブエナス・ノーチェスと言って僕は外に出された。カンオケ屋の前をトボトボと歩きながら、僕の恐怖が最高潮に達していたのは言うまでもない。
  この国の医療は本当に大丈夫なのだろうか? 外人だからって軽く扱われているのだろうか? そんなラテン系のええ加減な国で、言葉も喋れず意思もきちんと伝えられないために命を落とすことの危険性は十分に考えられる。


  ワクチン打ってくれな、死んでまうやんか!


  ホテルに帰ると僕はひどい鬱状態のままベッドにもぐりこみスーパーネガティブな妄想に涙を流し、自らの不運を恨んだ。


  翌朝、僕は日の出とともに目を覚ますと身支度を整え、主張するべきスペイン語を確認チェックし、パンをかじって再び病院へ向かった。もう後には引けない。高山地帯の真っ青な空と赤道に程近いダイレクトで強烈な朝の光が「生きるんだ生きるんだ生きるんだ」と僕に囁きかけていた。
  病院では昨夜の当直と違う少しは信頼できそうな英語を話す医師がいた。僕は事の経緯と、すぐにでもワクチンを打ってほしいと言うことを熱弁すると、その医師はあろうことかこう言った。
  「狂犬病のワクチンを打つためには、まず君を噛んだ犬が本当に狂犬病であるかどうかを確認しなければならない。君を噛んだ犬はどうやら飼い犬らしいが、その家を覚えているかい? 憶えているなら、今から病院の保健課の職員と一緒に行ってその犬を捕まえてきてほしい。そしてその犬を検査する。もしその犬が狂犬病でないなら、ワクチンを打つ必要はないし、狂犬病に感染した犬であるならそいつを処分して君にワクチンを打つ。じゃあこの書類を持って保健課に行ってきたまえ」
  僕の視界は真っ白になり、もはや気絶寸前だった。ええすると何ですか。今から保健課に行って、おそらくスペイン語しか話せないおっさんらと一緒に、隣村のトレッキングコース上にあるあの家まで行って、おんなじ様にしか見えないあの黒犬4匹を、走り回って格闘して泥だらけになって全員ひっ捕まえて、一匹一匹顔を見ながら、さあどいつが俺を噛んだ犬や、と判別してから、この病院まで連れてきて、その後、犬の狂犬病検査を受けさせ、検査結果を待つと言う。まじ?
  そんなことした経験はないけれど、それはとてつもなく難しいことのような気がした。自転車の練習に例えると、30秒ダッシュ60秒インターバルを10セットするとしてインターバルのあいだ中ずっと桜田淳子のモノマネをするのと同じぐらい果たしてそれは難しいのではなかろうか。


  こりゃホンマに命が危ないかもしれん!


  そんなことを考えて絶望の淵に立たされた僕は、もちろん桜田淳子のモノマネをする元気もなく、医師に促されるまま、亡霊のように広大な病院のはずれにある保健課へと向かったのだった。


  保健課には僕の想像どおりスペイン語しか話せないブルーカラー風のおっさんが3人、タバコをふかしながらスケベ不健全風の話(に違いないと思う)で盛り上がっていた。僕が入室すると「厄介な仕事が来よったわい。ケッ」とあからさまに嫌な顔をした。書類を渡し、再び早業のスペイン語辞書検索による演説によって何とか事情をわかってもらったが、僕の方は深い絶望と疲労によって集中力のタガが外れかける寸前でもあった。
  「ドンデエスタ(どこですか?)××△△」一番年長らしきおっさんが面倒そうに地図を指し示し言った。どうやら犬に噛まれた場所を教えろということらしかった。消えていきそうな思考力を搾り出し、うぬぬぬぬぬ。と考えた挙句「間違いないこの辺りである」と僕が受難の場所を指差すと、あろうことか、おっさんたちは顔を見合わせにやりと笑った。
  「あ~はっはっはっはっはははは。ラッキ~。坊主、そこはなあ隣町の病院の管轄だ。あはははは。だから俺たちゃ関係ないんだよ。俺たちゃ行かなくてもいいんだよ。あははははははは。悪いが隣町の病院の保健課へ行ってくれ。残念だったなあ。よっしゃあああ。これでまたスケベ話ができるぜ。サイコー」
  おっさんたちはそう言ったきり取りつくしまもなくリラックス休憩スケベ話の渦に落ち込んでいった。
  朦朧としながら少し考えてみた。


  今から隣町の病院に行く→
  →(きっと)明日来いと言われる
  →ホテルに帰って一晩泣く
  →明日もう一度行く
  →事情を話す(スペイン語の辞書を引きながら話をして、とても疲れる)
  →診察してもらう
  →保健課に行って犬を捕まえてくるよう言われる
  →保健課に行き、職員を説得する。しかもスペイン語で。(だからとても疲れる)
  →犬を捕まえに行く
  →格闘の末4匹の黒犬を捕まえる(本当にそんなこと、できるのだろうか?)
  →噛んだ犬を判別する(全部同じ犬に見えるはず)
  →犬に検査を受けさせる
  →検査の結果ワクチンを打ってもらえる
  →でももう手遅れかもしれない


  そう考えると、精神的疲労と絶望がほとんど最高潮に達し、もうすぐ死ぬんだなあという実感が沸き起こった。


  僕はもうすぐ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ


  僕はその後、先ほどの医師の診察室に乱入した。上半身裸で診察を受けているおじいちゃんを尻目に、スペイン語で「ペロ・モルダール(犬・噛む)ラビア・オリブレ(狂犬病・恐い)ヴァグーナ・ポルファボール(ワクチン・お願いします)ソイ・モリール(私・死ぬ)モリールモリールモリールモリール(死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ)」といったことをオウムのように繰り返し医師に詰め寄った。
  表情をこわばらせ、瞳孔を開きながら医師に詰め寄る僕の異常を察知した看護婦の大声によって、他の医師や事務員などの病院関係者が集まりだした。僕を取り囲んで診察室は一時騒然。上半身裸のおじいちゃんが、目を白黒させて部屋の隅で狼狽する。ついには先ほどの保健課のおっさんまでが呼び出され、医師や事務員から事情を問いただされているようだった。
  で、結局、彼らのスペイン語での長い論議の結果「それじゃ面倒だから、はええとこ狂犬病のワクチンを打っちまおうよ」ということになった。最初っからそうしてくれりゃよかったのに~。
  大騒ぎの結果、そんな事情をもってして、ようやく僕は狂犬病ワクチンにありつくことができたわけである。ああ一応やれやれ。


  その後一週間にわたって毎日病院に通いながら、一日一本合計七本のワクチンを腹部に打たれ、激しい副作用の吐き気と睡魔と倦怠感のトリプルパンチを受けながら死人のようにホテルのベッドで壁のシミをながめつづけた。そして僕は、どうにか命を落とすことなく今ここにいる。ワクチンが効いたのか。はたまた最初っから狂犬病には冒されていなかったのか。
  でも、結果的に、この一連の狂犬病騒ぎのあいだ中、激しい死の恐怖にさらされたというのは、まぎれもない事実だった。発病の危険がなくなる数週間を過ぎるまで、心の中は常に死の瀬戸際にいた。恐ろしい体験だった。
  しかし考えてみればその時僕は現実に狂犬病になったわけではない。にもかかわらず、あれほど恐怖に萎縮した日々をおくったのはなぜだろう。
  逆にマラリアになったときは、現実に発病して瀕死の状態に臥していたにもかかわらず、恐怖感という面では売春婦の幻覚を見ていたぐらいだから大したことはなかった。
  僕はそうした状況の中で、死というものについてハタと考え込んだ。
  たとえば、死というものは、死ぬこととは無関係な状態であろうとなかろうと、死というものを意識した瞬間にその本質的な恐怖にとらわれてしまうものだとか。
  まあ、簡単に言うと、死というのは非現実に存在していて想像するから恐いものであって、現実に目の前に迫ってくれば、本当はそんなに恐いもんでもないのかもしれないなあということだろうか。おじいちゃんやおばあちゃんは死の恐怖をある意味超越しているだろうし、血だらけの重傷を負って病院に運ばれてくる人でも、苦しんで痛がっている人は助かるけれど、大怪我してるのに安らかな表情の人はすぐにお迎えがくるというし。やっぱり死というのは恐怖や痛みとは関係ないものなのかなあと思った。つまり、実際に死ぬときには痛くも恐くもないもんだろなあと想像するのだけれど。
  これもダーマでしょうか。
  いずれにしても、この狂犬病騒ぎの後、僕はまるでオバQのように犬が恐くなってしまったことは言うまでもないということで、この話一巻の終わりであります。

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 ネパール アンナプルナ。神の懐トレッキング記〈4〉

 マラリアで出会った売春婦たち〈2〉