ニセ警察官に気をつけろ <その2> インドネシアにて〈11〉

  僕が出会った2人目のニセ警察官はインドネシアにいた。
  ちょっと長い話だけど、それは僕の体験の中でも一線級のエキサイティングさを誇るものである。
  だから、がんばって読んでみてください。


  スマトラ島の西海上に位置するサーフィンの聖地ニアス島を目指して旅をしていた僕は、メダンから夜行バスに乗り、ニアス行き船の出るシボルガという港町に、早朝フラフラになってたどり着いた。ちなみに夜行バスはジェットコースター並みの急加速とワインディングロードで一睡もできなかった。
  その日の夕方発のニアス行き船の出る時間まで「いったいなにしたらええねん」というわけで、着いたばかりのバス停のベンチに崩れかかっていた。
  そんな僕に一人の少年が声をかけてきた。


 「あんた。日本人だろ。夕方の船でニアスに行くのかい?」
  そうだ。
 「それまで何するんだい? 暇じゃねえのか」
  ああ。まあ・・・。
 「よかったら、家にこないか? 食堂してるんだよ。メシ食ってきなよ。仮眠もOKだよ」
  えっ。仮眠させてくれるの?


  そうして僕は重たいバックパックと気絶しそうな神経の束を引きずりながら、少年の実家である食堂に向かった。
  少年の家は正真正銘の食堂で、お母さんと妹らしき少女(メチャメチャ美人でした)がアジアの女らしく奥ゆかしげに店を切り盛りしていた。僕はそこでインスタントラーメンに野菜と肉の入ったやつとビール一本を腹に入れた後、二階の部屋へ案内された。
 「妹の部屋なんだけど、ここで仮眠しなよ」
  そう言って、めちゃめちゃ美人の妹のものらしき布団へと案内された僕は、「ひょっとしてこのあと、売春婦に早変わりした妹がやって来るんじゃないだろなあ」と変に悶々としたのだけれど、疲れていたのでけっきょくベルベットの中に水晶球が落ちていくように眠りこけてしまった。
  何時間ねむったのか分からなかった。目が覚めてもまだまだ日は高かった。美人の妹はけっきょく僕の床には来なかったらしいが、目を覚ますと少年がいて、ニコニコと微笑みながら「よく寝れた?」と言った。
  ありがとう。疲れがとれた。
 「そうか。よかった。近くに綺麗な海岸があるんだけど、よかったら散歩しないか」
  まだまだニアス行きの船が出るまでには時間がある。まあ、どうせ暇だからと、OKした。
  僕は万が一のことがあって船に乗り遅れるのが嫌だと感じたので、バックパックは背負ったまま少年の運転するバイクの後ろに乗って海岸に向かった。
  そこは決して綺麗な海岸ではなかったけれど、人っ子独りいない原始的な寂しさが押し寄せるいい砂浜だった。少年はパンツ一丁になって海に飛び込み独りでキャーキャー言って遊んでいた。僕にも来いと手招きをしたが、誰もいない砂浜とはいえ知らないところで荷物と離れるのが心配だったので、適当にあしらっていた。
  しばらくして少年はひと泳ぎのち陸に上がるとこう言った。


 「実はマリファナがあるんだけど一緒に吸わないか?」


  それまでにもマリファナは吸ったことはあった。インドやネパールでは公衆で堂々と吸っている人がいたし、ガバメントショップといって政府公認のマリファナ販売所などもあったりするもんだから、特になんということは考えてなかった。
 「ああ。エエねえ。吸わして」そんな軽いやり取りの後、僕たちは一本のジョイントを回した。誰もいない浜辺で僕たちはキメキメになって、ヘラヘラと笑いあって話をした。
  その時である。
  浜辺の遥か遠くを眺める少年が「げげ!ヤバイ!」と言い、かなり焦った様子でジョイントをもみ消し砂に突っ込んだ。
  その直後、サングラスに開襟シャツの男は威風堂々と言った身のこなしで僕たちの前に出現した。
 「おまえら今なにしとった?」
  男の迫力に押されてか少年はビビって萎縮している。サングラス男は少年が突っ込んだ吸いかけジョイントを見つけるとこう言った。


 「俺は警察だ。マリファナの現行犯で連行する!」


  僕は、マンガのような展開にポカンとしていたのだけれど、少年はもう必死のパッチである。
 「あああ。ごめんなさい。もうしません。ゆるしてください。ねっね。このとおりです」そんなこと言いながら、少年は男の脚に抱きついたり、土下座をして大変であった。
  でも警察を名乗る男に容赦はない。「バカたれがあ!」みたいな星一徹級の乗りで、土下座している少年のわき腹に蹴りを入れたもんやから、驚いた。おおこわ。
  なんちゅう恐ろしい。だけどマリファナを吸った後だったので、極彩色でスーパーリアルな、近代法治国家とは思えぬドラマチックな光景が僕を魅了していたのも事実だった。
  わあ。すごいなあ。
  男はその後も、少年をボコボコに蹴り倒し、少年は砂まみれのピクピク状態となって浜辺に半埋もれとなった。
  男はサディスティックな欲求を満たすと僕を振り向きこう言った。
 「おまえはどこからきた?」
  日本です。
 「パスポートを見せろ」
  男は僕のパスポートを手にとるとパラパラと見てこう言った。
 「日本じゃどうだか知らないが、ここインドネシアでは、マリファナの所持吸引は懲役三年の実刑犯罪だ。おまえら二人はかわいそうだが、現行犯で逃れる余地はない。さあ警察署に来てもらおう」


  インドネシアで三年間刑務所に放り込まれる!


  ああ。ドツボにハマってもうた。何たる結末。悲惨な現実が、マリファナ成分テトラヒドロカンナビノールの薬効を受けて絶望に拍車をかける。
 「ミッドナイトエクスプレス」(ハシシ密輸でトルコの刑務所に放り込まれたアメリカ青年の悲惨な物語)の恐ろしい名場面が頭をよぎる。ナモタサバガワトー。とタイのお経を心で唱えるがもうどうにもならない。
  しかし男はこんなことを言う。


 「だが私も人間だ。君たちにチャンスを与えよう。500ドル。500ドル払えば見逃してやってもいい」


  ぎりぎり500ドルほどの現金は持っているけど。どうしよう。
  でも、よく考えたら現行犯って言ったって僕が吸ってるところ見られたわけじゃないから、完全な有罪は立証できないはずだ。


 「わかった。じゃあ警察署に連れて行ってくれ。俺は吸ってないから」と言ってみた。


  その時、男の表情が「ゲゲッ(汗)」という感じに変わった。
  すると不思議なことにボコボコにされてピクピク状態だった少年がむっくりと立ち上がり、


 「おまえはマリファナ吸ったじゃないか。俺と吸ったじゃないか。金を払うんだあ! 三年間もムショに放り込まれるんだぞおお! よく考えろ。どっちが得だ! さあ、金を払うんだああああああ!」

 

  なんや? ボコボコされたのにエライ元気やんか。しかも自分の犯罪認めたりして、なんか変やなあ。
  すると少年に呼応するよう男も「そうだ。そうだ。金を払え。500ドルで人生助かるんだ。安いぞ」とやりだした。


  こいつら芝居して俺をハメようとしとる!


  気づいた瞬間に、僕は荷物を背負い、スタコラサッサと歩き出した。もう相手にしてられへん。草むらを抜けると小さな幹線道路目指して小走りで浜辺を離れた。後ろで男と少年が仲良さげに並んで「こら待たんかい!」とか叫んでいるが、追いかけては来ない。
  道路に出ると、ラッキーなことにスーパーカブのおっさん(この人は非常に親切な人でした)が通りかかったので、ヒッチハイクして飛び乗った。


 「おっちゃん。港まで飛ばしてえや!」


  あほたれインドネシア人が。劇団アカデミーで修行しなおせや。そうつぶやきながら、カブのおっさんの背中でニアス島でのサーフィンを思い描き、ニセ警官から逃れた自らの賢明さを褒め称えていた。
  ところが僕はぜんぜん賢明じゃなかった。マリファナのぶっ飛びは、僕に非常に重要なある事を忘却させていた。とんでもないことを思い出し、僕はかたまる。


  いかん。パッ、パスポート! ニセ警官に渡したままやったああ!


  そうなのだ。ニセ警官にパスポートをチェックされてそのまま取り返すのを忘れていたのだ。何たるアホであることか。だから、奴らは僕が逃げても追いかけても来なかったんだ。
  しかし、パスポートがないとやっぱり困るわなあ。どうしよ。どうしよ。どうしよ。
  そんなわけでいろいろ考えてみたのだけれど、ポイントは僕が少年の家に行ったことがあるという事実だと思った。僕を安心させようという魂胆で実家に連れて行ったんだと思うが、奴にとってはそれがアダになったのだ。
  僕はカブのおっさんに「友達の家にパスポートを忘れたので、取りに行きたい。連れて行ってくれ」と頼んだ。おっさんは快く引き受けてくれたのだけれど、僕は正確な場所が思い出せず、シボルガの街中を迷走した。長い時間おっさんは付き合ってくれたのだけど、けっきょく少年の家は探し出せず、おっさんは「すまんけど、このあと用事があって」と言い残し、シボルガの雑踏に僕は下ろされた。
  パスポートを失って、しかもマリファナがキメキメの状態で僕はこの後いったいどうなるの? 
  崖ッぷちの開き直りが妙に心地よく感じたのが変だったけれど、僕は道行く人に「パスポート無くしましてん」「パスポートないねん」と訴えかけ続けた。
  そのうち誰かが「おまえ警察署に行けや」みたいなことをアドバイスしてくれた。
  かくして僕はマリファナラリハイ状態のまま、「たのもー」とシボルガ警察署の門を叩いたのであった。こんなんアリかいな。しかし。
  インドネシアの警察署は、どこでもそうなのだろうか。事情聴取室がオープンエアーのテラスになっていて、外の往来から丸見えであるのだ。でも、結果から言うと、それが僕にとってはラッキーに働いた。
  本物のインドネシアの警察官の人たちは、僕がマリファナを吸っているとは感づく素振りもなく、地図を見ながら「パスポートを置き忘れた友人の家」を懸命に探してくれていた。
 「その家のそばに海はあったかね?」「川などなかったかい?」「店の名前など覚えていないかなあ?」
  いずれにしても、日はとっぷりと暮れて、その夜のニアス行きはあきらめていた。
  そんな矢先である。事情聴取室に突然一人の男が現れた。僕の知らない男だ。男は満面の笑みをたたえていた。顔つきからすると明らかに少年の家族であるらしかった。兄貴か。それとも親父か。
 「いやあ。ここにいたかい。探したよ。いやいや君が家にパスポートを忘れたもんだから探していたんだよ。ここの前を通りかかったら君の姿が見えたもんだから。よかったよかった。大事なもんだからもう忘れちゃダメだよ。ハイ」
  と言って、正真正銘僕のパスポートをテーブルの上に置いた。
  パスポートは僕の手元に戻ってきたのだ。
  そのあと、男はどうしても僕を港まで送ると言ってきかなかった。僕はニセ警察官の一味に送ってもらうなんてトンでもないと思った。しかし男は「なあ。お願いだ。俺は、おまえが船に乗るのを見届けないといかんのだよ」と真剣で誠実な表情をした。回りに警察官もいるし、送ってもらうのは民間の三輪バイクタクシーである。
  僕はそれをひとつの取引と受け取った。
  少年とニセ警察官一味としては、僕が開き直ってペテン芝居詐欺を暴露したら、実刑三年だけでは済まないダメージになることを考え、パスポートを返すのが賢明と判断したのだろう。ただ、パスポートを返した後、もし僕が策略でもねれば、一味をハメることだって不可能ではなかったはずで、それを一応防御するのがその夜の船に僕を放り込むということだったのだ。いずれにしても僕がマリファナを吸ったのも事実だったので、そう言った意味では、僕も要らない危険は犯したくはないし、僕にとって平穏に旅を続けることが目的とすれば、パスポートを返した方がお互いにとってベストだと一味は判断したのだ。
  そしてその判断は正しかった。僕は、いざこざの復讐の為に別のいざこざを起こすような人間ではなかったからだ。
  30分後、僕は出向直前のニアス島行き小型フェリーの2等客室(というか荷物棚みたいな床)で緊張から解放されて呆然となっていた。金も盗られず、パスポートも帰ってきたという喜びが残留マリファナハイと重なって、高いレベルのナチュラルハイ状態にまで達していた。
  エキサイティングで、しかも深い安堵を盛り上げるように、小型フェリーのエンジン音が体を痺れさせていた。
  そして、妙な感動に浸っていた。
  ほんとうに信じられないけど、明日からはニアス島でサーフィンができるのだと。