スゴクぬくもるネパールの温泉〈16〉

    以前この旅のコラムでも紹介させてもらったネパール・アンナプルナのトレッキングで体験した変な話を書こう。
  アンナプルナ周辺には温泉の湧いてるところがたくさんある。そんなわけで僕はトレッキング途中で泊まった山小屋のそばに温泉があれば必ずつかりに行って自らの歩行の労をねぎらったりしたもんである。
  あるとき僕はアンナプルナの登頂ベースキャンプを目指してトレッキングしていた。名前は忘れたけれど尾根の小山の上にある見晴らしのいい山小屋で一泊したときのことだ。その宿は、ブスのネーチャンと美人の妹の二人姉妹がきりもりしていた。

ブスのネーチャンいわく「この近くの川原に温泉が湧いてるの。とてもいい温泉よ」
美人妹いわく「すごく体がぬくもるの。もうホッカホッカよ」

  そりゃ大変よろしい。温泉は大好きなのだ。じっくり暖まって疲労を回復させよう。明日からまたバリバリ歩けるでえ。というわけで僕は姉妹の教えに従って川原の温泉へと歩きはじめた。山小屋は山の尾根にあって温泉は川原だから当然道は下りの山道である。急なくだりを十数分も転がりそうになりながら進むと、確かに石だらけの川原にはコンクリートで作った小さな池のような温泉場があった。そのときが何月だったか忘れたけど、ヒマラヤの山中はピューピューと木枯らしが吹きつける寒々とした気候で、おまけにあたりには誰もいない。僕はすかさず丸裸になると温泉池に飛び込んだ。ところがこれがとんでもなかった。

  ほとんど水に近いようなぬるま湯でんがな。うううぶるぶるぶる。

  しばらく頑張ってつかってみたけれど、ぬるま湯はどこまで行ってもぬるま湯である。ぜんぜん体が温もらないどころか逆に体が冷たくなってきた。あの姉妹は何を考えとんじゃい。ぜんぜんホッカホッカちゃうやんけ!

  あいつらおぼえとけ。帰ったら二人まとめて手込めにしたるさかいな! 妹は前から犯す。ブスネーチャンはバックからで十分やろ!

  と、怒り狂うと頭が熱くなり寒さが少しマシになったような気もした。でもやっぱりこのままじゃ風邪を引いてしまうと、根性の早業で水から飛び出し服を着て帰路を歩き出した。 帰りは急な登りである。30分以上もかけ、ぜいぜいと息を鳴らして遠い長い登坂の果て、宿に到着すると、不思議なことにというか当然にというか、

  体がホッカホッカになっているやないかああ!

  笑顔で僕を迎えた姉妹は

  「どう。すっごく、ぬくもったでしょ」だって。

  当たり前やがな、あんだけ急坂登ったら、体ぬくもるやろ。しかし決してそれは温泉のおかげではない。それにしても、この国の人は、温泉のホッカホッカとは帰りの運動も含めたことを言うのか。そんなアホな。ネパール人は何を考えとんじゃい。
  しかし、あまりにもあっけらかんとした姉妹の笑顔を見ていると怒る気もなくしてきた。それに目の前には天に連なるような雪山の壮大な風景が広がり、僕を穏やかに気持ちにさせてくれる。

   「まあ。いいか」

   ダルバート(豆のカレーライス)と、ぬるいビールをいただきながら、世の中の価値観の多様性というものは僕の想像をはるかに上回っているものなんだなあと感じた、それはそれは不可思議なヒマラヤの夕暮れだった。