ヨーロッパ人とイスラエル人の対立について〈39〉

  スリランカのアルガンベイは最高のサーフスポットだ。僕は2ヶ月もそこで波乗りをしながら過ごした。
  僕が連泊していたシリパレプレースというゲストハウスには、イタリア人やフランス人、そしてイギリス人などいわゆる西ヨーロッパ系のサーファーたちが多く宿泊していた。昼間はサーフィン。そして、夜になるとみんなと食堂で酒を酌み交わしながらいろんな話の花を咲かせた。
  旅の話で盛り上がったある夜、僕が「インド人は何を考えているのか、理解できない」と言うと、イタリア人のカルロが「俺にはインド人は理解できる。でも、イスラエル人は理解できない」なんて言うのだ。
  すると横にいたイギリス人やフランス人までもが「そうだ。そうだ。俺もイスラエル人は理解できない」と強く同感の意を示しはじめた。そうなるとイスラエル人の悪口大会みたいになって、「あいつらはどうしようもねえ」みたいな話に落ち込んでいった。
  イギリス人のジュリーによると、アルガンベイで波乗りをするサーファーの約30%がイスラエル人であるという。そんなわけで海に入ると当然のようにヨーロッパ人とイスラエル人で波の取り合いに端を発したイザコザがよくおこるのだと言った。
  「ある時、危険な前乗りをするイスラエル人がいたんだ。『危ないやろ。バッキャロー』って、俺が言ったら、そいつなんて返したと思う。『俺は明日イスラエルに帰るんだよ』だと。おかしいんじゃないのか。明日帰るんだったら何してもいいのか。イスラエル人は理解できないよ」と、ジュリーは漏らすのだった。

  とにかく、アルガンベイではヨーロッパ人とイスラエル人が反目しあいながら、サーフィンライフをおくっているようなのだった。

  それってどこでも「ヨーロッパ vs イスラエル」ってな具合に対立するもんなんだろうか。よく解らない。
  とにかく当然、泊まり宿もヨーロッパ人とイスラエル人に別れていた。僕は何も考えず適当にチェックインしたらタマタマそこがヨーロッパ人の多い宿だったというわけだ。
  いずれにしても毎日顔を突き合わせてメシを食い、酒を飲む友人達が声をそろえて「イスラエル人はアカンで!」なんて言うもんだから、いつしか僕もすっかりアンチイスラエル派となっていった。
  ヨーロッパ人たちと村のストリートを歩いていても「ああ。イスラエル人が来た」なんて誰かが言う。見ると前方からは憎たらしそうな風貌のイスラエルサーファー数人がガンジャでラリってるのか、フラフラと歩いてやってくる。やがてヨーロッパ人とイスラエル人は、強烈なメンチの切り合いをしてすれ違う。
  「腹立つ奴らやなあ。あいつら」と、僕も一緒になってメンチを切った。
  とにかく、そうしたことが、関係のない日本人の僕すらも巻き込んで、マスマスお互いの憎悪を募らせていく南のサーフポイントなのだった。

  そんなある日、僕はポイントの岩場で足をケガした。小さな傷だと思って放ったらかしで海に入りつづけていたら、化膿して歩行も困難になるほど悪化した。宿には消毒液ぐらいしかなかったので、僕は村の薬局まで傷薬を買いに行くことにした。片足だけ靴下を履いてヒョコヒョコとビッコを引きながらけっこうな道のりを歩きつづけた。
  やれやれ、やっと着いたでと思ったら、なんと教えてもらった薬屋は、休みだった。潰れちゃったのか。とにかく、そこは固く戸を閉ざし、来る者のすべてを拒んでいた。
  呆然と立ち尽くし、途方にくれる僕。
  すると誰かが僕に声をかけた。振り向くと、白人のニーチャンが立っていた。

  「足をケガしたのか。ここの岩場はブーツなしじゃ危ないよな。薬屋は三日間ほど休みらしい。でも俺は薬を持っているよ。俺も岩場で足をケガしたんだ」

  僕はニーチャンに誘われるまま、彼のバンガローまでついて行った。ヤシノキと茂みに覆われた涼しいところだった。「これはとてもよく効く薬だよ。すぐに治る」と言って、彼は僕の傷口に薬を塗り、ガーゼを貼ってくれた。

  「ありがとう」

  お金を払うのもやらしいけど、差し出すものもない。けっきょくお礼の言葉だけを述べて頭を下げた。そして僕達は少し話をした。
  「タクシーで30分かけて隣村のポトヴィルポイントまで行けば400m乗れる波が立つんだぜ」
  「僕は反対側のクロコダイルロックへよく行くよ。波は大きくないけど誰もいなくて気持ちいい」
  「どこから来たの? 中国?」
  「僕は日本から。あなたは?」
  「イスラエル」

  実はイスラエル人とまともに話をしたのはそのときがはじめてだった。ヨーロッパの友人たちから受けるイメージだけで、イスラエル人を悪く見ていたことを愚かだと思った。
  考えてみれば、それは当たり前のことだ。もしイスラエル人のすべてが悪い奴ばかりだとしたら、そんな人々で作った国家が存続するはずがないものなあ。
  民族間の感情的な好き嫌いなんて、ものすごく小さい観念の中での歪んだ思いでしかないのだ。名前も聞かなかったけど、そのイスラエル人の彼はとても普通の奴で、僕達と同じように困っている人を助けたかっただけなのだ。いろんな意味で民族国家間での考え方の違いはあるけれど、ベースは極めて同じレベルなのだ。
  民族間での違いを話題にすることは多いけれど、「民族間の同じ部分」をもっと話し合うべきでは・・・と思った。
  その夜、ゲストハウスに帰ってからも、ヨーロッパ人たちにそのことは何も言わずに、食事後は少し離れたところで一人になってイロイロ考えたスリランカの夜だった。