黒人の国「ジャマイカ」に降り立って(その2)〈45〉

  ジャマイカに降り立って数週間が過ぎた。
  モンティゴベイでの僕の生活はのんびりとしたもので、昼間はビーチサイドでゴロゴロしながらビールを飲んで、夜になると再びビーチサイドにあるカウンターバーでビールを飲んでウダウダする毎日だった。
  そのバーは、砂浜の傍らに生える大木のまわりにカウンターをめぐらせた南国風の趣だった。ヤシの影から見える水平線のすぐ近くにまで明るい恒星たちがちりばめられていた。カウンターの内側では白いブラウスを着た黒人の娘が時にぼんやりしながらビールの栓を抜く。近づくと少しワキガのニオイがしてセクシーだった。
  「可愛い子やなあ」酔いに浮かれてスケベオヤジになっていると、隣の席に人の気配がした。

  「ヤマン(ジャマイカではコンニチハをこう言う)。隣に座っても良いですか?」

  黒人娘から目をそらし振り向くとそこには黒人のおっさんが座っていた。小奇麗なカッコしている。
  おっさんは僕に握手を求めると、浮かれたように話し始めた。
  「日本からですか。いやいや素晴らしい国ですなあ。ようこそジャマイカへ。友よ。ビールを奢りますよ。どうぞ飲んでください」
  おっさんは僕の返事も聞かず、黒人娘に栓を抜かせるとビールの小瓶を目の前に置いた。出会ってからビールを奢ってくれるまで一分もたってない。少し変な人だなあと思った。そして僕はけっこう酔っていた。もうそろそろ帰ろうと思っていた。でも、せっかくなので僕は乾杯をするとそのビールをいただいた。
  おっさんの話はとりとめがない。僕から何かをぼったくろうとしているようにも見えた。話もつまらなくて、やっぱり僕は帰りたくなった。で、一瓶を飲み終えると言った。

  「ビールをありがとう。帰ります」

  そう言うと、おっさんは形相を変えた。

  「なにを言ってるんだ! 私は今あなたにビールを奢ったんだぞ。いいか。ビールを奢ったんだぞ! なのに、どうしてあなたは私にビールを奢らないんだ?! どうしてどうしてだ!」

  そのおっさんの理論ではビールを奢られたら必ず奢り返さなければいけないものらしい。確かに奢り返すことはある種のエチケットでもある。しかし状況によっては絶対ではないし、それを強要したら奢ることの本質を逸脱した、ありがた迷惑のようなことにもなってしまう。だいたいからして「ビールを奢る」ということは社会的貢献と公共への福祉が、まず根底にあらねばならぬものではないのか。そんなわけで僕はおっさんに会釈をして「ごめんなさい。ほんとにもう帰らなければいけないのです」そう言って、そのバーを後にした。背後でおっさんの怒りに満ちた叫び声がした。

  「私はおまえにビールを奢ったのだぞ~!!」

  そんなに怒るのなら最初っから人にビールなど奢らなければよいのに。ああ。やれやれ。とアンディーの家までの帰途についた。
  でも話はこれで終わりではない。その後、数日間、昼となく夜となく僕がバーでビールを飲んでいると、少し離れたところで件のおっさんが僕を睨みつけて直立したまま

  「私はおまえにビールを奢った!」

  なんて僕を指差して怒鳴るのだ!
  場所を変えても同じ。別のバーで飲んでたらまたそのおっさんが再び登場してこう言う。

  「私はおまえにビールを奢ったぞ!」

  完全にマークされてる。
  ああ。おっさんにビールを奢り返してその洗礼を遠ざけたいとも思ったけれど、僕はそうなると意地でもおっさんにビールを奢らなかった。
  なぜならジャン・ジャック・ルソーが語ったこんな言葉を知っていたからだ。

  「感謝は支払われるべき当然の義務だが、それを期待する権利は誰にもない」と。

  そのおっさんが変な人だったのか、ジャマイカでは普通なのか、よくわからない。
  でも、僕が思ったのは、ルソーみたいな白人と明らかに思考構造が違うなぁと。ヒネリのない純粋なリアクションが逆になんだか心に突き刺さった。
  ジャマイカは黒人の国だからかなあ? そんなこと思うと人種差別につながるかな。でも人種が違えば思考も違うわなあ。もうひとつ。奢られる方にもぼんやりとした責任みたいなものが存在するのだなあと。モンティゴベイの黒人ばかりの雑踏を眺めながらイロイロ考えたジャマイカの夕暮れだった。