電動変速の「電動」ってズルいのとちゃうの
<自転車はどこまでが自転車と呼べるのか>

 

電動変速ってラクーンとどう違うの?
 巷の情報では、何やら電動変速装置なるものが開発されているらしい。限りなく完成品に近い試作品がすでにレースにも投入されていて、試乗した人にインプレッションを聞くとすこぶる性能は良いようだ。スイッチをちょこっと押すだけで魔法のようにスムーズな変速がおこり、「よっこらしょっ」と指でレバーを押す面倒くささは、もはや原始的にも感じるほどだそうである。
素晴らしいようである。自転車の未来の可能性は限りなくて果てしない。ビバ!自転車!っと喜んでみた。
 でも、それって本当に手放しで喜ぶべきことなのかなあ。と疑問を持ったのも事実だった。だって人間の力で動かすべきところを電動にしちゃったら、電動アシスト自転車の「ラクーン」と同じやんか!
 確かに変速は自転車の推進力とは直接関係はないと思う。メチャメチャ早業の変速の魔術師みたいなテクニシャンがいたとしても虚弱体質の人だったらツールには勝てない(というか出れない)し。しょせんは指先の動き程度の話だと。
 でも、僕が思うのは、自転車とはすべての動きを人間の力だけでおこなえる乗り物だから素晴らしいのだということだ。つまり、自転車が根本的に自動車と違う素晴らしさを持っていることを文化として広めていくために、電動変速機というものは果たして正しい方向性を持つものなのだろうかと首を傾げる僕なのだ。
 例えばペダリングによる推進力以外は電動でも良いとするのだったら、近い未来にはヘッドチューブのあたりにロボットの長い手がついていて、コンピューター制御でボトルを取って水を飲ませてくれたり、背中のポケットから食料を取って「あーん」してくれるとか。ハンドリングやブレーキもコンピューターが全部してくれるので居眠りをしながらでもペダルさえ回していれば正確で安全なコース取りができるとか! でも、そんなのが自転車っていえるのか?

 

人間のエネルギーだけで動くこと、それが自転車的である
 ロサンゼルス五輪の時にアメリカチームがメダルを独占した伝説の秘密兵器がある。正確な名前は知らないけれど「遠心クラッチ内臓ディスクホイール」とでも呼ぼう。
 トラックの独走競技で圧倒的な強さを誇ったそのディスクホイールの内部には螺旋状に穴が掘られていて、スタート時にはハブの中心に近いところに球形のオモリがセットされている。ゼロスタートから走りはじめてホイールの回転が早くなってくると遠心力でオモリが徐々に外側に移動して、巡航速度になると弾み車のような慣性モーメントを作り出しスピードを維持できるという構造になっている。
 スタート時にはホイールの周辺部が軽くて加速がしやすく、スピードが乗ってくると慣性モーメントが生じる。感心するような素晴らしい機能だけど、後にUCI規則では、この構造のホイールは禁止になったそうな。
 でも、僕的に思うのは、「遠心クラッチ内蔵ホイール」の方が「電動変速」よりは自転車という道具の本質に近いということだ。 前者はあくまでも人間の力が推進エネルギーのすべてなのだから。
 そう考えるとどうだろう。僕の短編小説に登場した「螺旋状アミノ酸フレーム」とか「ヨットの帆みたいなフレーム」は別としても、いろんな可能性があるに違いない。
 例えば、シートチューブの内部に強靭なゴムを仕込んでおいて、下りでペダルを回すとクランクから伝えられた力がゴムを捻って蓄力できるようにする。登りや勝負どころで蓄力を解放にすれば、あら不思議、ぺダリングアシスト機能で推進力アップなのだ。これだって「電動変速」よりは自転車的である。あくまでも人間の力だけがエネルギーなのだから。
 いずれにしても「電動変速」の普及にそなえて、「自転車とはいったいなんなのか?」ということを考え直す良い機会かなとも思う。
 さらには「最低重量6.8kgどやねん」とか「アワーレコードにディスクホイールとDHバーを認めろ」とか「カウリングはどないやねん」とかも考えてみたい。
 そんなことも踏まえて、揉め事の多いUCIとは別に、いっそのこと独自の自転車概念規格を持つ国際的な団体を立ち上げようかと考えている。会長には近藤房之助氏を。副会長には安原昌弘氏を。事務局長はわたくし上阪が。って、三日でつぶれそう!

 


追コラム>このコラム書いたのが2008年ですが、今ではすっかり普及しております、電動変速機。自転車の電脳化はどんどん進んで、今はパワーメーターによるワット数を基準にしたトレーニングメニューが理論的に作られて、ますます情緒のある生物から離れていく自転車進化です。2045年は人工知能の能力が人間を超えるそうで、このさきどうなることやら。