人工知能の進化が自転車レースを変える。でもそれでいいのか?

 

2045年以降の世界は天国になるか。それとも地獄?
先日、テレビを見ていて人工知能の進化がスゴイことを知った。チェスも将棋もモハヤ人類は人工知能に歯が立たない。なんでも過去の将棋対局の膨大なデータのすべてを学習したコンピューター同士が700万回の対局でさらに勉強を重ねて神がかり的な叡智を身につけるのだとか。だいたいからして人間が700万回将棋をするとなると2000年ほどかかると言うから、こりゃそもそも次元の違う話だわな。将棋界の最高位である佐藤天彦名人が、奇想天外な手を繰り出すコンピューターに完敗するわけだ。
あと、NTTドコモが開発した人工知能システムをタクシーに組み込み、客の獲得に大きな効果を上げているという話も興味深い。過去の乗降場所や天気のデータとGPS機能を複雑に駆使し、ベテランドライバーが「こんな時間にそんなとこへ行っても客が捕まるはずはない」というような状況で、予想外にお客を拾っちゃうのだ。この調子で行くと、近い将来には全知全能な予測機能がある人工知能が出現する日も近いんじゃないの? 「人工知能占い」とか当たりすぎて怖いやろなあ。
さて、ある説によると、2045年にはコンピューターの知能が人間を超えるという。それをシンギュラリティ(技術的特異点)というのだけど、そうなると人工知能が自分のプログラムを自らどんどん変換してゆき、人間の予想を超えた世界がやってくるそうな。ある学者は「それにより人間の生活がますます豊かで素晴らしいものになる」と言うし、またある学者は「コンピューターが人間を支配、あるいは抹殺し、電脳と機械の世界になる」なんてSF的なことをおっしゃる。2045年というと僕は81歳でギリギリ生存しているかなあ。それより年金ちゃんと貰えるか、その方が気になるけど。

 

人工知能で逃げ切り勝ちのアタックポイントが分る!
まあ2045年問題は人類の子孫たちに委ねることにしても、そんなことから思ったのは、自転車のレースにも人工知能を活用できるのではあるまいか?ということだ。例えば、出場全選手の身体と戦術と戦績のデータ。フレームのブランドモデルや部品機材のデータ。それにコースのプロフィールと気温や湿度に天気などのデータを盛り込めば、レース展開の全てをシミュレートできるに違いない。つまり、それによって確実に決まる逃げのアタックポイントを知ることができるのだ。突発的な集団クラッシュなどのアクシデントも予測できれば、ヘナチョコ選手がまんまと逃げきれるポイントも教えてくれるのではあるまいか。そんなわけで、パワーメーターによるトレーニング法や高性能ホイールなどの機材使用より、人工知能によるレース展開予測の方が重要視される時代がやってくるに違いない。勝つためには、性能の高い人工知能を所持することが必要となるのだ。
さらにその時代になると、低周波による脳内刺激機能を組み込んだヘルメットを装着して、ゴールスプリントやアタックの集中ポイントでは、監督がリモコンで選手のドーパミン噴出量を調整できるシステムが登場するに違いない。
まあ面白い話だけど、個人的にはこんなの全部ひっくるめて「人工知能支援ドーピング」とか「低周波ドーパミン噴出ドーピング」で禁止行為にすればエエんじゃないかと思うなあ。

 

完全なシステム化は有機生物としての楽しみをスポイルする。
そんなわけで心配なのは、人間的で感情的な自転車レースの魅力というものが、人工知能や機材や戦術の進化によってどんどん失われていくことだ。例えば、プロレースでは無線システムを導入したことによって、展開のドラマチックさが失われてしまった事実がある。ツールの生中継を見ていて、集団に10分差をつけて逃げる4人のアタッカーが頑張っていたとしても「こりゃゴール前5キロ地点で捕まるで」と分ってしまうのが悲しい。その昔には、無謀な自爆的エスケープが劇的な勝利に結びついたレースがよくあったもんだ。
今では、レース展開もシステム化なら、トレーニング方法もパワーメーターによるシステム化で、ライディングフォームのポジショニングもシステム化の世の中だ。これで人工知能によるアタックポイントもシステムに組み込まれたら、僕たちサイクリストは、有機生物として何を個性のよりどころに自転車を漕げばよいのだろうか?! そんなシステム化が行きつけば、人間がレースをする意味自体が失われ、やがて高性能アンドロイドによる自転車レースを観戦する時代がやってくるのではあるまいか。ちなみに、その時代は2045年を過ぎているだろうから、観客も全員アンドロイドだったりして!?