世の中で「股間」に物を挟んで、これほどまでに酷使するのは自転車と魔女ぐらいやね。

 

世間知らずの「股間」へのグリグリは自転車の特殊性でもある
自転車というスポーツは特殊なもんだなあと思う。何が特殊かといえば、それは「股間」への対応が尋常ではないところがだ。
例えば、乗車した際に人間と自転車が接する箇所は三つある。それは「手」と「足」と「股間」だ。考えてみれば手も足も激しいコンタクトには実に慣れている。僕たちは、拍手もすればボクシングもできる。そしてサッカーボールを強烈に蹴飛ばし、裸足で野山を駆けることもできる。
ところが「股間」ときたらそうはいかない。湿っけた暗いパンツの中でセックス以外すべての刺激を遮断され、一生のほとんど太陽の光を浴びることもなく隠されて守られ育つのだ。
そんな箱入りで世間知らずの「股間」をである。自転車というスポーツは、イササカの容赦もなくグリグリとサドルに押し当てコキ使い、時には炎症や流血の惨事まで引き起こすのである。考えてみればそれは苛烈極まることである。
さて女性にとっては更なる受難が増幅することは想像に難くない。女性器は見るところあれは内臓の一部である。そんな身体の内部を直接、ときに長時間、重労の架に処さねばならぬ女性サイクリストに対し尊敬と崇拝の念を贈りながら、シマノ鈴鹿の西加南子「痛みよさらば!」を受講できなかったことを悔やむ僕である。
もちろん男性だって、サドルのすぐ上には前立腺や膀胱などの内臓が詰まっているのだから、人間の一番弱い部分をグリグリする因果に取り憑かれた自転車の特殊さをシミジミと感じるのである。

 

魔女と自転車選手の「股間」の共通性とは?!
考えてみれば、股間に物を挟んでするスポーツなんて自転車以外にありえない。この間ユーチューブを見ていたら、「貧弱男vs筋肉女のレスリング」つうのがあって、ムキムキ女の股間にナヨナヨ男の顔が挟み込まれて息も絶え絶えに苦しそうで少し羨ましかったけど、そんなのはもちろん例外中の例外である。
スポーツだけに限ったことではない。世の中のナリワイのすべてを見回しても、股間に物を挟むのは「自転車乗り」とせいぜい「ホウキで飛行する魔女」ぐらいだ。そんなわけで、僕は「自転車」と「魔女」に共通点を見い出した。
魔女がホウキに乗って空を飛ぶ話には、知られざる隠喩があって興味深い。なんでもある説によると、本来魔女はホウキの柄に幻覚性の薬物を塗ってそれを自らの性器に挿入し、「精神を飛ばす」らしいのだ。それが転じて「ホウキでの飛行」の意味となったらしい。ううーん。凄い話だなあ。でも、これってドーピングによる虚構の勝利を飛行として象徴しているような。
また別の説によると、魔女が股間にホウキを挟むということは、弱点を物ともしない、人間を超越した能力の集積を暗示しているのだとか。さあ。これって股間の痛さを乗り越えて完走を目指す自転車選手の自己超越となにやら共通するようにも思うのだけど。

 

「股間」の刺激を受け入れるからこそ自転車選手の精神は崇高なのだ
僕は自転車が好きで好きで、自転車乗り達のことも大好きな人間なので、どうしても贔屓目で見てしまうのだけど、やっぱり自転車乗り、特にレースをする人間の意識は他のスポーツ選手には見られない特殊な崇高さと奔放な喜びに満ちていると思う。考えてみれば、それは「股間」という、内臓が半ば露出したような人間の最も弱い部分に非日常な刺激を加えることによる身体的、そして哲学的なテーゼとしての意識変革が好作用となってるのじゃないのか? 書いてる自分でよく分らんようになってきた。つまり、弱い股間をあえて痛みの渦中に曝け出し、箱入り世間知らずを巷の荒波に捧げだす勇気がその崇高な精神を育むちゅうこっちゃ。ああ自転車バンザイ!
そんなわけで現在、股間を刺激する為のサドルつきランニングパンツを開発して日本陸連や各競技団体に販売する計画を立てております。これで2020東京オリンピックは金メダルラッシュ間違いなし!! もういいですか。