「仮面ライダー型サイクリスト」と「ガンダム型サイクリスト」の違いとは。

 

トランスヒューマニズム的に考えれば、それはサイボーグに違いない
自転車と一体になって走っている時「僕は今サイボーグなのだ」と思う。サイボーグの定義は「生命体に自動制御装置等を仕込んだ物」だけど、広い意味では義肢や義眼やコンタクトレンズを装着することもサイボーグだと言えるから、自転車と僕たちが融合して快走する物体はある意味の「走るサイボーグ」に違いない。
サイボーグの概念は、難しい言葉でいうとトランスヒューマニズム(日本語では超人間主義)という考えからきている。それは人間の体に科学の粋を盛り込んで機能的に高いレベルに到達しようと言う考え方だ。思えば、電動変速機で操作ストレスを減らそうとか、シューズに人間工学的なデザインを取り入れてパワーロスを少なくしようとか、そんな考え方に極めて近い。
そんなわけで僕たちサイクリストは「仮面ライダー」であり「サイボーグ009」の精神的末裔であるに違いない。悪の組織ショッカーによって改造人間にされた本郷剛の体内に組み込まれたメカニズムが有機的な肉体と連動してライダーキックを繰り出すように、僕たちサイクリストは自転車と一体化し、走るサイボーグとなって堺浜をクルクル回るのだ。

 

「仮面ライダー型サイクリスト」と「ガンダム型サイクリスト」
自転車で走る自分をサイボーグだとすると、「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」と言った人型兵器ロボットもトランスヒューマニズム的には同じようなもんである。でも、性格的にはサイボーグヒーローとずいぶん勝手が違っているのが面白い。
「ガンダム」や「エヴァ」に乗り込んで操縦するアムロや碇シンジはどこにでもいそうなちょっと情けない少年で、くよくよ悩んで逃げ出したりもする、ある意味でのアンチヒーローだ。勧善懲悪的で「おのれショッカー! 叩き潰してやる!」と気勢のある本郷剛の爪の垢でも煎じて飲ませてあげりゃ地球の平和はもっと安泰なのではあるまいか。
まあ、仮面ライダーもガンダムも自転車に乗る自分のメタファーだとすると、そんなヒーローたちから影響を受けたサイクリストには世代を超えた「仮面ライダー型サイクリスト」と「ガンダム型サイクリスト」が存在しているともいえる。そして、どうやら両者で自転車に対する考え方と嗜好にけっこうな違いがあるようなのだ。生命体とメカニズムの関係、それを人間と自転車の関係に置き換えればわかりやすい。
たとえば、仮面ライダーにとってサイボーグの体内メカニズムは自分の身体の一部だから、仮面ライダー型サイクリストは自転車と一心同体の意識を抱く。だから、ライダー型の多くのサイクリストは大事な一台のみを所有し、それを唯一無二の存在として愛でるのだ。
一方、アムロたちにとってガンダムは愛着こそあれ、あくまでも「兵器」としての「物」である。つまりガンダム型にとって人間とロボット体は別の存在であり、モビルスーツは何台あっても良い。そんなわけで、たとえ乗らなくてもたくさんの自転車をコレクションしているガンダム型のオヤジを見かけるのだ。

 

タイプ別から考える向いているイベントとは?!
マン・マシン・インターフェイスの観点から考えると、仮面ライダー型サイクリスト→「古風」「パラノイア(偏執気質)的」「反物質主義」。ガンダム型サイクリスト→「新しい物好き」「スキソイド(分裂気質)的」「物質主義」と言えるかもしれない。さら考えてみると、仮面ライダー型は潜在意識の中で自分をサイボーグだと思い込んでいるので「元気があれば何でも出来る」とアントニオ猪木みたいな事を考えている節があるし、ほとんど独りで強大な悪の組織ショッカーに立ち向かっていく性格上、個人主義者が多いに違いない。一方で、ガンダム型は「自分の体は生身である。モビルスーツがないと何もできない」と謙虚で控えめだが、自信にも欠ける。しかし地球連邦軍やネルフの強力なバックアップがあってこそ活躍が出来ることをわかっているので組織や団体での行動は得意だろう。
そんなことを踏まえてみると仮面ライダー型サイクリストに向いているイベントは「一人旅ツーリング」「ブルベ」「シクロクロス」「タイムトライアル」ではないのか。一方、ガンダム型サイクリストには「ロードレース」「団体エンデューロ」「トラックのチームパシュート」などをお奨めしたい。
さて。あなたはどちらのタイプ? ええっ!月光仮面型ですか?それも実写版の! トランスヒューマニズム的にイベントの断定は難しそう。しかし股間のモッコリだけはサイクリストの誇りですよぉ。