コウモリのようにイルカのよう聴覚に意識を集中すればサイクリングの風景世界が変わる?!

 

眼球が動いている瞬間って何も見えてないって知ってた?
以前にもこのコラムのネタとして取り上げたことだけど、人間の視覚っていうのはけっこうエエ加減なもので、むしろ聴覚の方が正しい判断を下せる局面って意外と多いらしい。
例えば、ある学説によると人間の目は視点を移動させた瞬間、つまり眼球を動かした瞬間には一時的に視覚の情報処理能力が遮断されているという。目をキョロッと動かした僅かな時、信じられないことに僕たちは何も見ていないということだ! これは簡単な実験で確認できる。まず鏡に自分の顔を写してみよう。眉毛がエライ薄くなったなあ・・・と幻滅しちゃいかん。自分の両目を見つめてみよう。まず視点を右目の眼球に注ぐ。その後、視点を左眼の眼球に移す。すると不思議なことに気付くはず。どうしたって眼球が動いている瞬間を僕たちは見ることができない! 気を失っているわけでもないのに、人間の視覚能力が完全に停止している瞬間が日常にあるとは驚くべきことだ。
そんなわけで視覚というのは不完全なものだ。まあ「騙し絵」や「トリックアート」は数多く存在するけど、聴覚のトリックはタモリクラブの「空耳アワー」ぐらいだもんね。ホール&オーツの「マンイーター」の出だしはヤバイで。

 

盲目の自転車選手がおりなす技「血のトマホーク」
人間の脳をコンピューターに例えるなら、画像データは重くて情報量が多いものだからダウンロードするのに時間がかかるので、見ているものすべてを完全に処理判断できないのだろう。一方で聴覚というのはデータ量が少ない分処理が容易なので、入力に対しての情報処理が正確で視覚のような間引きや誤魔化しが少ない。そんなわけで聴覚の方が視覚より優位に働くことは多い。
盲目のかたが人の心を見透かすような話はよく聞くし、彼らは視覚がゼロのはずなのに「反響定位」によって障害物や目前の物体が固いか柔らかいかまで判断できるという凄い技まで持っている。ちなみに「反響定位」と言うのはコウモリやイルカが超音波を発して周囲のものに反射させ状況を把握するという、言わば「耳による視覚」といえる能力だ。考えてみればコウモリって凄いよなあ。目がほとんど見えないのに耳だけを便りに空を飛んでるんやからなあ。ありえへん。
ところで、昔あった自転車マンガの「ひとりぼっちのリン」に登場するライバルの日高創児は盲目の自転車選手でありながら、口笛を使った「反響定位」で周りの状況を把握して、「血のトマホーク」という自転車に乗ったまま空中回転ジャンプするという超人的技を使ってスプリント競技で活躍するのだけど、これってコウモリよりありえへんわなあ。

 

聴覚レーダーに集中すればライバルの体調だってつかめる。
まあ「血のトマホーク」は無理としても、僕たちが自転車を走らせる際に聴覚をもっと冴え渡らせることにより、更なるパフォーマンスの向上や安全性が狙えるのは間違いがない。例えば練習中やサイクリング中でも、ブラインドのコーナーで見えない車の音を敏感に感じる必要があるし、後ろから近づくエンジン音にもレーダーを張りたい。レース中でも耳を澄ませばシフト音によってライバルの体調さえも読めるだろうし、ダンシング加速時の「ザッザッザッ音」によってもアタックのテンションの高さが窺い知れる。落車の「ガシャガシャ音」がどこで発生したか察知することも危険対応としては大事なことだろう。そんなわけでウォークマンなど耳に詰めながらサイクリングすることはぜひお止めいただきたい。
そんなこと考えてみれば自転車の音の世界って意外と変化に富んで面白い。普段はあまり感じようともしないけど、聴覚に集中して走れば、耳に巻き込む風の音以外にも、鳥のさえずりや子供の遊ぶ声に小川のせせらぎ。色んな音響が「サウンドスケープ」という音の景色を作り出してくれるのが分る。しかも歩くよりはるかに速い速度で濃厚な音風景がパノラマとして展開されるのだ。これってエンジン音しか聞こえない車やオートバイとも全然違う素敵さじゃないの?! さあ。耳をそばだてて音に集中しながらサイクリングしよう! 新しい世界が広がるよ。ああ。ちなみに超音波を発せられない人は、くれぐれも目はつぶらないで走ってください。