自転車の起源。自転車のカッコ良さ!

 

「音楽労働起源説」とか「スポーツ労働起源説」
先日、音楽家の人と話をしていたら面白いことを聞いた。「音楽労働起源説」というのがそれだ。なんでも、人類が「音楽」を奏ではじめたのは原始時代のことで、それは農作業を効率良くするため、そして出来た農作物を均等に配分するためだという。なるほど「田植え歌」に代表されるように、みんなが同じリズムで唄いながら田植えをすれば、「あいつはたくさん植えた。あいつは動きが遅い」なんて米の分配を悩まなくてすむ。アフリカあたりの狩猟民族でも音楽の起源は狩に行く全員の士気を高めるために同じリズムを共有したことに由来する。これもまた労働が起源である。
一方で「スポーツ労働起源説」って言うのもある。陸上競技は、原始時代に獲物を捕まえるためどれだけ速く走れるかというのが起源だし、槍投げはそのままイノシシを獲得するための文字どおりの労働能力だ。そんなわけで陸上競技は間違いなく「労働起源型スポーツ」なのだけど、他にも調べてみたら「宗教儀式起源型スポーツ」や「娯楽起源型スポーツ」なんてあるのを知った。
たとえばサッカーは、言い伝えによると、そもそもは古代に戦争して勝った後、討ち取った敵の生首を蹴り倒して神に捧げたのが起源だという説がある。中世のサッカーとして知られるのは、宗教的な断食の前日に街の広場で市民全員が勝ち負けもなく、怒涛のようにボールを奪い合うという、言わば岸和田のだんじり祭りのような大騒ぎが起源とされている。そんなわけでサッカーは「宗教儀式起源型スポーツ」なのだ。そう考えれば、だんじりもスポーツになったかも知れないのだなあ。もし、それが国体種目だったとしたら、大阪チームが惨敗したら全員陰毛まで丸坊主の刑やろな。

 

世界初の自転車は日本で発明された?!
そんな流れで、自転車の起源について調べてみたら、驚くべき説に突き当たった。なんでも江戸時代中期の1729年に埼玉県の百姓の庄田門弥が「陸船車(りくせんしゃ)」という、車輪をつけた船にカラクリ足踏みと歯車で駆動させて走行する、「機能的には完全に自転車」と言える物を発明しているのだ! とてもオシャレとは言えないシロモノだけど、もし江戸幕府が力を入れて陸船車の普及に努めていたら、世界の自転車シーンはいったいどうなっていたことだろう? ツールの山岳ステージで小船に車輪つけた怪しい乗り物がアタック合戦してたらなんか気持ち悪いなあ。
まあ一般的には1817年にドイツのドライス男爵が発明した「ドライジーネ」と呼ばれる、両足で地面を蹴って走る道具がロードレーサーなんかの先祖とされている。これはギヤやペダルがなくて、それでも2時間ぐらいを平均速度12km/hで走ったというから、当時にしては歩くよりはメチャメチャ高速な乗り物だったに違いない。
ちなみに1819年にミュンヘンで、このドライジーネによるレースがすでに行なわれていたというから、それって世界初の自転車レースといわれる1869年の「パリ-ルアン」より50年も早い。つまり、そのミュンヘンのドライジーネレースが「本当の世界初の自転車レース」とも言えるんじゃないの?!

 

「娯楽起源型」だから自転車レースは美しい
いずれにしても当時の自転車というのはとても高価な娯楽道具で、金持ちしか所有することができなかった。まあ今で言うとフェラーリやポルシェのような物だったのだ。そんなわけで自転車レースの創生は金持ちの道楽とも言える「娯楽起源スポーツ」なのだが、考えてみればここに自転車競技の深層マインドの本質が見て取れる。
たとえば、熱狂的なサッカーファンは、きっとあのボールが生首に見えるからあれほど興奮するのだろうし、同じく陸上競技のファンたちは、高速で走るボルトがチータを捕らえて「はい。今夜のご馳走どうぞ!」なんて空想の中で熱狂させられるんだろうなあ。
そう考えると、ブルジョアから生じた「娯楽起源型スポーツ」である自転車の魅力のキーワードは「紳士」「最先端」「オシャレ」であるに違いない。だから僕ら自転車ファンは、トラブルに巻き込まれたライバルをペースダウンして待つことに宇宙的な寛容を感じるし、技術開発の頂点から創造された有機的なカーボンマシンに股間が疼くような憧れを抱く。そして、芸術にまで昇華したマイヨと鍛えられたライディングフォームに無限の美しさを感じるのだ。
そんなわけで、自転車はオシャレでカッコええのだ。納得! それにしても、江戸幕府が陸船車を広めなくって本当に良かったなあ。