もし自転車選手に尻尾があったなら!? 「しっぽのひみつ」を探る。

 

リスのしっぽは、傘や布団やパラシュートにもなる。
このコラムのネタ探しのために図書館へよく行くのだけど、最近ハマっているのが「子供図書コーナー」だ。「せかいの民族スポーツ」やら「政治ってどんなこと?」とか、はては「麻薬ってなに?」といった表題の絵本がまるで池上彰さんの解説ように分りやすく、そして優しく僕らに知識を与えてくれる。分りやすいだけじゃない。ときに大人の書籍に書いていない特別級の情報にも遭遇できて、それはサプライズだ。
先日「しっぽのひみつ」という絵本に興味を引かれた。いろいろな動物の尻尾の役割について描かれているのだけど、これがメチャ面白くて尻尾に対する考えと興味が深まった。人間には尻尾はないし、犬でも猫でも尻尾がなくなっても死ぬことはないから、尻尾なんて別になくてもエエんじゃない?ぐらいに思ってたけど、これがとんでもない。
例えば、チーターは獲物を追って走る高速コーナーで尻尾を曲がる反対の外側に大きく振り出してコーナーリングの安定を取るし、家猫のタマやミケも高いところから落下する時は尻尾をヘリコプターのようにグルグルと回してソフトランディングするのに役立てている。また、クモザルの尻尾は手の代わりに木の実をもいで口に放り込むことができるし、ワオキツネザルの尻尾は群れの仲間同士で移動や危険認識の合図に使われる。
けっこう凄いのはリスで、身体と同じぐらい大きい尻尾は、雨の日には傘代わり、寝るときは布団代わり、枝から飛び降りる時にはパラシュート代わりにも使える万能ものだ。
尻尾には画期的なパフォーマンスが秘められているのだ。

 

もし自転車選手に尻尾があったらレースは超高速化へ?!
子供図書コーナーで「しっぽのひみつ」を読みながら、「尻尾って凄いもんやなあ。うーん。もし自転車選手にも尻尾があればどうだろか?」なんて妄想に浸ってしまった。進化の過程で何がしかの遺伝ミスや突然変異が生じた末、人間にも尻尾があったら自転車レースの世界もさぞかし違ったものになっていただろうと。
まず下りのスピードが格段に速くなるに違いない。チーターのように尻尾が高速コーナーごとにシャナリクニャリと左右にひらめいてバランスの安定が増すからだ。直線下りでもスポイラーの役目を果たすかも知れぬ。グランツールの勝負どころは登りじゃなくて下りに移行して、山岳ポイントは激坂下りのコーナーの果てに設けられるに違いない。もちろん、登りに関してもダンシングの身体のフリフリに合わせて尻尾がフリフリすることによりペダリングを助長し基本速度はアップするだろう。
さらにもし、クモザルやワオキツネザルのように尻尾が手の代わりをするなら、ハンドルから両手を離すことなく補給食やボトル飲料を口に運べるし、チームカーを呼ぶときや仲間に合図を送るときにも便利に違いない。また集団ゴールスプリントで接触しそうな相手との間隔を尻尾が横にチョイと伸びてブロックしたら落車事故の危険性も大きく減るはずだ。さらに、リスのような大きな尻尾があったら、ママチャリでもきっと便利この上ない。突然に雨が降ってきたら瞬時に尻尾が傘代わりになる。片手運転じゃないから、おまわりさんに見つかっても怒られない。それに「サスベエ」も買わなくてすむなあ。

 

尻尾は集合的無意識へのアクセスアンテナなのだ!
ところで、こんなブッ飛び説もある。なんでも、脳から直線的に伸びた脊椎の先端である尻尾は、集合的無意識へのアクセスのためのアンテナ機能を持っているというのだ。フロイトによるとすべての生物意識はつながっており、それにより野生動物は誰にも教わらないのに子供の育て方や生き方のノウハウを知る。これは尻尾のアンテナ作用によって集合的無意識にアクセスしているからだ。人間はそれを科学で説明できないので「本能だ」と簡単に表現しているだけなのだ。
人間は集合的無意識にアクセスしなくても、脳を巨大化させ言語や教育で子供の育て方などを子孫に伝えれるようになった。そのためアクセスアンテナである「尻尾」が必要なくなり、やがて消えてしまったのだ。一方で、大災害の前に街からネズミが消えたとか、犬が何千キロも離れた飼い主を探したとか、そんな動物の超能力はすべて尻尾がアンテナとして機能しているからなのだ。
そんなわけで、もし自転車選手に尻尾があったら、ライバルの心理を探るため集合的無意識にアクセスする超能力合戦となる可能性も大いにある!
「尻尾は超能力アンテナなのだ~!!」思わず叫んでしまったけど、子供図書コーナーは小学生ばかりでポカンとこっちを見ておる。おっちゃん変でゴメンね。