カルカッタの古雑誌〈36〉

インドあたりの清潔の観念は日本とはまったく違った異次元ワールドである。そんなところで数ヶ月を凄し、すっかり汚いものにも慣れたつもりでいた時に、恐ろしくて、思い出深い出来事がおこった。
  それは、カルカッタに数週間滞在していたときのことだ。英語本ばかりの古本屋を物色していたら、日本の古い週刊誌を見つけた。週刊朝日だか週刊新潮だか忘れたけど、紙が黄ばんでゴワゴワになった年代物で、アジアの湿気と暑さを染み込ませたようなシロモノだった。その古本屋には日本の文庫本もあったのだけど、長い小説を読むのは何だか飽きたような気がしたので、気が向いた時にチョロチョロと目を通せる雑誌が新鮮に映って、購入した。値段は忘れたけど、日本円で数十円程度だった。
  翌日から南インドのマドラス方面へ旅立つ予定だったので、列車の中で読もうと決めて、その日はページを開かず、楽しみな気持ちをガマンした。
  翌朝、サモサ(カレー味の野菜が入った餃子の揚げ物)とミネラルウオーターを買い込んで、列車の人となった僕は上機嫌で黄ばんだ古雑誌を開いて読みはじめた。車窓にはカルカッタの雑踏や貧民窟がアメージングに流れて、旅のワクワク感に包み込まれていた。
  ところが、しばらくすると

  全身が猛烈に痒くなりはじめたのだ! それは味わったことがない、狂ったような痒みの嵐だった。

  カイカイカイカイカイカイ。と、Tシャツも脱ぎ捨てて、全身を掻き毟った。どうしてどうして。せっかく素敵な旅のはじまりだったのに。
  ふと、読みはじめた古雑誌を見つめて考えた。

  そうだ。この雑誌を開いてから急に全身が痒くなったのだ! これ、怪しいんとちゃうの!

  ひえええええ。と、気持ち悪くなって、発作的に雑誌を窓から放り投げた。その後、痒みは時間をかけて次第に消えた。
  うーん。考えてみれば、恐ろしい体験だったのかもしれない。一体あの古雑誌の中にはどんな生物が潜んでいたんだろう。突発的な痒さは劇薬に犯されたような感じで、深く心に焼きついている。
  東南アジアの湿っけた古雑誌には注意しましょう。