「超能力で自転車が速くなる!」と理論的に考えてみた。

 

自転車は足を止めても前に進むから素晴らしい。
先日、生まれて初めてマラソン大会を走った。ハーフマラソンだったけど、それはそれは苦しい試練のひと時だった。当たり前だけど、自転車は足を止めても巡行するので気の抜けるところがある。だけど、ランニングでは気が抜けない。驚くべきことに、足を止めたらその瞬間に巡航速度は時速0kmになってしまうからだ! まるで生き馬の目を抜くようなシビアな2時間を走り終えて(少し歩いた)、サイクリングとは異次元の膝の痛みの中で、ぼんやりと「少しの超能力があれば自転車は速くなるのでは」などと考えた。
考えてみれば、自転車には車輪がついているので、走行中に小さな力で背中を押されるだけで加速はするし、楽にもなる。一方、ランニングはといえばフラフラの走行中に背中を押されても、ぜんぜん楽じゃない。つうか、バランス崩してコケるだけ。
そう考えると、超能力で自転車は速くなるど~。と、いきなりブッ飛んだ話だけど、旧ソ連など共産圏では「国立超能力研究所」なるものが設立されていて、超能力を軍事力やスパイ活動に利用しようと国家が真剣になって研究を進めていたという事実がある。
そうした超能力研究をスポーツにも活用したのか、ソ連最後世代の自転車選手であるV・エキモフやE・ベルツィンなどは「特殊精神修練法」によってその実力を大きく開花させたといわれている。僕が予想するに、その修練法とは超能力獲得も含んだ精神トレーニングではなかったのか? BBとハブにサイコキネシス(念力)を集中させることによりベアリングをコロコロと回す力を与えるのだ! 知らんけど。

 

本当の念力はカエルの心臓を止める?!
言っておくが、僕はUFOも幽霊も神様の存在も信じない。だから「オバケの出る家」で一晩中「悪魔を呼ぶ歌」を歌い続けてもぜんぜん怖くない。それより、一晩中歌い続けたら次の日メチャメチャしんどいやろなあ。って、その方が怖い。
しかしながら超自然現象というのは、現代の科学で解明されていないだけで、UFOも幽霊も100年後には科学になっている可能性もあるわけだから全否定はできない。同じように超能力も存在の可能性は否めない。ユリ・ゲラーやサイババや清田益章は怪しいけど、旧ソ連で研究対象になっていたニーナ・クラギーナという女性はホンモノ超能力者だと思われる。彼女のサイコキネシス能力は、意志の力だけでカエルの心臓を止められるというものだ。その程度だからこそ実にホンモノっぽい。ちなみに彼女は実験中後に脊髄の痛みと頭痛や体重減少に見舞われたらしく、これもホンモノっぽい。
イスを浮かせたり、スプーンを曲げたりする大きな力を人間が念じるだけで発生するとは考えがたいが、カエルの心臓ぐらいなら止めれるかもと思うのは、「人間意識による乱数発生器のデータ異常」という事実があるからだ。「乱数発生器」というのは文字通りランダムに0か1を発生させる装置で結果はまったくの偶然である。しかし、ある実験で被験者が感情の昂揚を表した時に明らかに乱数データに異常な偏りが発生するという事実が確認されている。(ちなみに9・11テロの時には世界中の乱数発生器に異常なデータが出たらしい)そんなわけで、人間の意識が物理に作用することは間違いがないが、それはカエルの心臓を止めるほどの小さな力だ。つまり、微妙な後押しでも推進助力となる自転車だからこそ超能力は効果あるんじゃないの?!

 

「量子脳理論」で誰もが超能力者になれる。
人間の意識というのは確かに空間を超えて物理や化学反応に作用する力を持っている。うどん粉で腹痛が治るプラシボ効果だけじゃなく、最先端の超心理学(超能力を理論的に研究する学問)では、「量子脳理論」という仮説が囁かれている。なんでも、原子や光子レベルの素粒子には「量子もつれ」という、距離を隔てた物質同士がまったく繋がっていないのに光速を超えて影響を及ぼしあうという現象が確認されている。それならば、人間の脳自体が量子を発生させながら他の物質にも影響を与えるかも知れぬ。というのが「量子脳理論」である。さて、もしこれが真実で理論を掌握できたなら、さらに強力な超能力を現実に活用できるかもしれん。そもそも人間は脳の30%しか使ってないというから、残りの70%を上手く鍛錬すれ、誰もがハードな超能力を操れる時代が来るはずだ。


そんなわけで、未来の自転車レース界では「超能力ドーピング」の嵐が吹き荒れることも危惧される。UCIは取り締まりのため、サイボーグ化された「超能力警察」に乱数発生器を携帯させ、24時間体制で選手を監視すると、やがて選手たちとUCI警察の超能力戦争が勃発し、世界は新体制に向けての大きな変革を迎えるのだ。残念ながら、その頃すでにカエルは絶滅している・・・。